チョコ食べてます。
おいしいです。
調子がメキメキ上がってる。
とりあえず、皿洗いなどができるようになったのは
大きな変化。
(ちっちゃいが)
知ってはいるんだけど、できるわけのない
「3食きちんと食べる」
ということ。
摂食を治すには、それがいいとされてる。
いやいやいやww
痩せたくて仕方ないのに
そして今まで、食べることを制限することで痩せてきたのに
そんなんできるはずない。
痩せようという気すら起きないほど諦め感満載の時
偶然そういう食生活ができることはあったが。
思えば、そういう生活が続く時ほど
過食衝動は起こりにくくなっていったな。
それでもやっぱり調子があがってくると
もっと早く、もっともっと早く痩せたい!!!て思い始めて
結局、食を断つ方のダイエットに走っていく。
そしてその制限は、日増しにエスカレートする。
かなり順調に痩せる日々が訪れ、一時的に気分は好調!
でもやっぱりその後、反動がくる。
何度も繰り返して分かっているはずなのに
なかなかこのループから抜けられない。
今調子がいいのは、痩せたからじゃない。
順調に食事制限ができているから、でもない。
モヤモヤしてきたら、チョコを満足いくまで普通に食べるし。
やっぱり
「痩せてなくたって、自分には価値がある」とか
「痩せることが全てじゃない、もっと大事なものがある」とか
そういうことを心から実感することが必要なんだろうな。
文章として、意味を理解するだけじゃ足りない。
心から実感できないと。
どうやったらできるのかって、それはもう個々の問題だろう。
「歳を経ていくうちに治りました」
ていう人が多いのは、単に年齢を重ねたからってことじゃなく
人生経験を積んでいくうちに、いつのまにか
↑に書いたようなことを無意識に吸収し
成長したからなのではないかな。
何十年も病気を抱えてる人は
それらを実感するきっかけがなかった人たちなんじゃないかなぁ、と。
(周りが悪い!!)
その実感に必要なのは、やっぱり「愛情」なんだろうな。
そして何より
家族(両親)からの愛情が1番の味方になるんじゃないかな。
それが得られなくたって
親の代わりに愛情を与えてくれる人がいたとして
その愛情が「自分の体型」とは全く関係ないってことが
頭でなく心から実感できれば(無意識にでも)
とりあえず自分の中に空いている「穴」「足りないもの」が満たされて
満たされることで
「食で満たす」(拒食・過食問わず)
ってことを、しなくてよくなるのではないかな。
そうなる日が来るまでは、足掻くしかないのかも。
足掻いているうちに、きっといろんな経験もできる。
それにしたって、その足掻く期間って苦しい。死を考えるほど。
だから、なるべくその苦しさを最小限におさえられるように
その状態(満足いかない体型)のままで過ごせる
1番楽な過ごし方を模索していく。
そうしていきながら
いつか本当に楽になる日が来るのを、のんびり待つ。
とりあえず、今のところ
私が摂食に対して考えた結論は、そういうところだ。
言ってしまえば、1年前と特に変わってないわけだが。
変化があったとすれば
この1年の間に得た経験、身のまわりで起こった出来事。
そのせいで一時的に
過食も拒食も悪化したこともあったが
その間ですら確実に前進していたはずだ。
とにかく、歯がゆいけれど
できることは「治ることを信じて待つこと」
に限ると思う。
「ダイエットやめろ」って言われて
ホイホイやめれるような人がこんな病気にはならんし。
今回こそ、ダイエットループから抜けられるといいな。
まぁもしまた繰り返してしまったとしても
今より何かしら経験を積んで
何かしら前進はしているはず。
もちろん私だって痩せたい。
治った人はダイエットしてなくて太ってるかって言えば
まるでそんなことないようだし。
元気になれば、もっと健康にダイエットだってできる。
とりあえず、痩せることより
回復を優先したいな。
そう思えるまでが大変。
前もそう思ってたはずなのに
ついうっかり忘れてしまうしな。
<追加>
自分はじゅうぶん両親から愛されてるのに
どうして治らないんだろう・・・
そう思う時期もあった。
でもそれは結局「心から実感」できてないんだろう。
愛情を与えられて、それを実感するだけでも足りない。
「心から実感」するのは、もうほんとに
ずいぶん時間がかかると思う。
どうやればいい、とかじゃないんだろうな。
必要なのは、時間と経験。
と、思いましたとさ。
おいしいです。
調子がメキメキ上がってる。
とりあえず、皿洗いなどができるようになったのは
大きな変化。
(ちっちゃいが)
知ってはいるんだけど、できるわけのない
「3食きちんと食べる」
ということ。
摂食を治すには、それがいいとされてる。
いやいやいやww
痩せたくて仕方ないのに
そして今まで、食べることを制限することで痩せてきたのに
そんなんできるはずない。
痩せようという気すら起きないほど諦め感満載の時
偶然そういう食生活ができることはあったが。
思えば、そういう生活が続く時ほど
過食衝動は起こりにくくなっていったな。
それでもやっぱり調子があがってくると
もっと早く、もっともっと早く痩せたい!!!て思い始めて
結局、食を断つ方のダイエットに走っていく。
そしてその制限は、日増しにエスカレートする。
かなり順調に痩せる日々が訪れ、一時的に気分は好調!
でもやっぱりその後、反動がくる。
何度も繰り返して分かっているはずなのに
なかなかこのループから抜けられない。
今調子がいいのは、痩せたからじゃない。
順調に食事制限ができているから、でもない。
モヤモヤしてきたら、チョコを満足いくまで普通に食べるし。
やっぱり
「痩せてなくたって、自分には価値がある」とか
「痩せることが全てじゃない、もっと大事なものがある」とか
そういうことを心から実感することが必要なんだろうな。
文章として、意味を理解するだけじゃ足りない。
心から実感できないと。
どうやったらできるのかって、それはもう個々の問題だろう。
「歳を経ていくうちに治りました」
ていう人が多いのは、単に年齢を重ねたからってことじゃなく
人生経験を積んでいくうちに、いつのまにか
↑に書いたようなことを無意識に吸収し
成長したからなのではないかな。
何十年も病気を抱えてる人は
それらを実感するきっかけがなかった人たちなんじゃないかなぁ、と。
(周りが悪い!!)
その実感に必要なのは、やっぱり「愛情」なんだろうな。
そして何より
家族(両親)からの愛情が1番の味方になるんじゃないかな。
それが得られなくたって
親の代わりに愛情を与えてくれる人がいたとして
その愛情が「自分の体型」とは全く関係ないってことが
頭でなく心から実感できれば(無意識にでも)
とりあえず自分の中に空いている「穴」「足りないもの」が満たされて
満たされることで
「食で満たす」(拒食・過食問わず)
ってことを、しなくてよくなるのではないかな。
そうなる日が来るまでは、足掻くしかないのかも。
足掻いているうちに、きっといろんな経験もできる。
それにしたって、その足掻く期間って苦しい。死を考えるほど。
だから、なるべくその苦しさを最小限におさえられるように
その状態(満足いかない体型)のままで過ごせる
1番楽な過ごし方を模索していく。
そうしていきながら
いつか本当に楽になる日が来るのを、のんびり待つ。
とりあえず、今のところ
私が摂食に対して考えた結論は、そういうところだ。
言ってしまえば、1年前と特に変わってないわけだが。
変化があったとすれば
この1年の間に得た経験、身のまわりで起こった出来事。
そのせいで一時的に
過食も拒食も悪化したこともあったが
その間ですら確実に前進していたはずだ。
とにかく、歯がゆいけれど
できることは「治ることを信じて待つこと」
に限ると思う。
「ダイエットやめろ」って言われて
ホイホイやめれるような人がこんな病気にはならんし。
今回こそ、ダイエットループから抜けられるといいな。
まぁもしまた繰り返してしまったとしても
今より何かしら経験を積んで
何かしら前進はしているはず。
もちろん私だって痩せたい。
治った人はダイエットしてなくて太ってるかって言えば
まるでそんなことないようだし。
元気になれば、もっと健康にダイエットだってできる。
とりあえず、痩せることより
回復を優先したいな。
そう思えるまでが大変。
前もそう思ってたはずなのに
ついうっかり忘れてしまうしな。
<追加>
自分はじゅうぶん両親から愛されてるのに
どうして治らないんだろう・・・
そう思う時期もあった。
でもそれは結局「心から実感」できてないんだろう。
愛情を与えられて、それを実感するだけでも足りない。
「心から実感」するのは、もうほんとに
ずいぶん時間がかかると思う。
どうやればいい、とかじゃないんだろうな。
必要なのは、時間と経験。
と、思いましたとさ。
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