あっという間に寒くなって、まだタンスの中は夏モノだらけ。
押入れの奥から冬モノを出した。
服・・・少なっ。
まぁ2年前の冬は、1歩も外に出られなくて
過食材料すら自分で買いに行けなくて
ようするに、服なんて全くいらなかったわけで。
衣装ケースの中には
去年買った数少ない服がちょこっと。
あとは・・・・・ジャージ。もうジャージだらけ。
私が引き篭もってる間、母がアホほど買ってきたジャージだ。
なにやら感慨深い。
ヒキ生活。
スカートなんか履くわけがない。
ズボンも嫌だった。太ももの太さ丸出しになるから。
だから私はいつも、同じ
ピンク色の気持ち悪いジャージばっか履いてた。
そんな私を見て不憫に思ったのか、母は
何かっていうとジャージばかり買ってきた。
どんどん増えるジャージ。そんなにたくさん(゜?゜)イラネ
そんなある日、母は「スカート付きジャージ」を買ってきた。
履いてる人見たことない。ナンダコリャって感じのモノだ。
でも私は最高だと思った。お母さんナイス☆
ジャージってだけでもステキなのに
スカートまでついてて太ももをカバーできるし
隠したいモノを全て隠せる。これイイ!!!
と思ったのも束の間。
履いてみて愕然とした。
ジャージがきつい。ジャージのくせに。パンパンだ。
さらにスカートが!
なにこれ。筒?トイレットペーパーの芯みたい(?
つまりピッチピチだ。こんなん履けるわけない。
履いてるだけで最悪の気分になる。
私は母に怒鳴った。
「なんでこんな小さいサイズ買うの?!」
小さいサイズじゃない。私がデカ過ぎた。
摂食になる前より20キロ以上太ってた時期。
今日バイトから帰ってきて、部屋着に着替える時
何となく、そのジャージをはいてみた。
かつてのピチピチ感は、まるでなかった。
ジャージなので、多少ゆるい。
あの頃から今にかけて私がやったことの中で
1番大きな変化をもたらしたことは何だろう?
あれからも何度かダイエットっぽいことはしたし
拒食期もあったし、その度に再び過食に陥った。
体重の増減はいつものこと。
でも以前ほどむごい体重増加は、無い。
私がしたこと。
それは、「満足いくまで食べ続ける」こと。
ただ食べるんじゃない。
食べる自分を責めないこと。
はっきり言って「落ち込まない」なんて、それは無理だ。
相当落ち込んでいた。毎日毎日、それは酷かった。
でも私は、食べる自分を責めることだけは
あの頃、全くしなかったと思う。
太る自分は醜い。食べている姿はバケモノさながら。
嫌だ。太りたくない。それは当たり前。
でも、これほど食べてしまうくらい
自分は今つらい、または、つらい思いをしてきた
そう思った。
「なんで食べるの!」「食べるからダメなんだ!」「食べるな!」
これらは考えなかった。
こんな日々がいつまで続くか分からなかった。
もう人生全て諦めるくらいのつもりで食べた。
てか、諦めてたんだと思う。
お先真っ暗、この先幸せになれるなんてまるで思えない
死んでしまいたい、毎日そう思った。
でも、食べることはやめなかった。
やめれなかった、ではなく、やめなかった。
私は完全に引き篭もることができたから
こんな生活ができたわけだけど。
仕事や学校のある人は、こうはいかないだろう。
嫌でも外に出なくてはならなくて
感知したくない刺激を受けなくてはならなくて
ストレスを抱えて帰ってこなければならない。
でも、もし完全に引き篭もれて
精神的に自分を追い詰める同居人がいないのであれば
あとは、「敵」になり得るのは「自分」だけなのだから
その自分さえ、自分を責めなければ
誰も責める人なんて居なくなる。
それから、ほんとに一進一退を繰り返しつつ
気付けば2年以上たっていて
とりあえず2年前と違って、私は外に出られる。
以前なら、今の体型でも納得はいかなかっただろうけど
今はなんとか、外に出て
自分の体型のせいで凹むなんてことはかなり減った。
1番大事だったのは、あの「自分を責めなかった期間」だと
今も思ってる。もうだいぶ昔のことだけど。
あれからもいろんな時期を経たけど。
食べりゃいいってわけじゃない。
どんなに限界まで食べたって、自分で自分を苦しめていては
意味が無いと思う。
それどころか、状況は悪化する一方。
しかしその時期だって、もしかしたら
必要な期間なのかもしれない。
私だって、そんな時期が3年近くあったから。
まぁ私の場合の話だし、私とは全く違う方法で
この病気を克服した知り合いもいる。
患者の数だけ回復の方法がある、というのはよく言われていることだ。
私は吐かない過食だったけど
嘔吐する人となれば、もう「違う病気」と言っても過言でないくらい
大きな違いがあると思うし。
もう6年目だ。
長いのか、短いのか。
何十年もこの病気に悩まされている人の話だって聞く。
時間の問題じゃないのは間違いないんだろうけど
「病気との向き合い方」をどのように考えながら過ごすかによって
回復の時期も変わるとは思う。
じゃあどう考えればいいのかって、それが分からないんだから
どうしろって話だけど。
とにかく私の場合は、「自分を責めない」ということが
私なりの今の「答え」の第一歩だった。
ま、ゆってもまだ治ってないわけですが。
久々の自己満足な語りでした( ・∀∀・)
押入れの奥から冬モノを出した。
服・・・少なっ。
まぁ2年前の冬は、1歩も外に出られなくて
過食材料すら自分で買いに行けなくて
ようするに、服なんて全くいらなかったわけで。
衣装ケースの中には
去年買った数少ない服がちょこっと。
あとは・・・・・ジャージ。もうジャージだらけ。
私が引き篭もってる間、母がアホほど買ってきたジャージだ。
なにやら感慨深い。
ヒキ生活。
スカートなんか履くわけがない。
ズボンも嫌だった。太ももの太さ丸出しになるから。
だから私はいつも、同じ
ピンク色の気持ち悪いジャージばっか履いてた。
そんな私を見て不憫に思ったのか、母は
何かっていうとジャージばかり買ってきた。
どんどん増えるジャージ。そんなにたくさん(゜?゜)イラネ
そんなある日、母は「スカート付きジャージ」を買ってきた。
履いてる人見たことない。ナンダコリャって感じのモノだ。
でも私は最高だと思った。お母さんナイス☆
ジャージってだけでもステキなのに
スカートまでついてて太ももをカバーできるし
隠したいモノを全て隠せる。これイイ!!!
と思ったのも束の間。
履いてみて愕然とした。
ジャージがきつい。ジャージのくせに。パンパンだ。
さらにスカートが!
なにこれ。筒?トイレットペーパーの芯みたい(?
つまりピッチピチだ。こんなん履けるわけない。
履いてるだけで最悪の気分になる。
私は母に怒鳴った。
「なんでこんな小さいサイズ買うの?!」
小さいサイズじゃない。私がデカ過ぎた。
摂食になる前より20キロ以上太ってた時期。
今日バイトから帰ってきて、部屋着に着替える時
何となく、そのジャージをはいてみた。
かつてのピチピチ感は、まるでなかった。
ジャージなので、多少ゆるい。
あの頃から今にかけて私がやったことの中で
1番大きな変化をもたらしたことは何だろう?
あれからも何度かダイエットっぽいことはしたし
拒食期もあったし、その度に再び過食に陥った。
体重の増減はいつものこと。
でも以前ほどむごい体重増加は、無い。
私がしたこと。
それは、「満足いくまで食べ続ける」こと。
ただ食べるんじゃない。
食べる自分を責めないこと。
はっきり言って「落ち込まない」なんて、それは無理だ。
相当落ち込んでいた。毎日毎日、それは酷かった。
でも私は、食べる自分を責めることだけは
あの頃、全くしなかったと思う。
太る自分は醜い。食べている姿はバケモノさながら。
嫌だ。太りたくない。それは当たり前。
でも、これほど食べてしまうくらい
自分は今つらい、または、つらい思いをしてきた
そう思った。
「なんで食べるの!」「食べるからダメなんだ!」「食べるな!」
これらは考えなかった。
こんな日々がいつまで続くか分からなかった。
もう人生全て諦めるくらいのつもりで食べた。
てか、諦めてたんだと思う。
お先真っ暗、この先幸せになれるなんてまるで思えない
死んでしまいたい、毎日そう思った。
でも、食べることはやめなかった。
やめれなかった、ではなく、やめなかった。
私は完全に引き篭もることができたから
こんな生活ができたわけだけど。
仕事や学校のある人は、こうはいかないだろう。
嫌でも外に出なくてはならなくて
感知したくない刺激を受けなくてはならなくて
ストレスを抱えて帰ってこなければならない。
でも、もし完全に引き篭もれて
精神的に自分を追い詰める同居人がいないのであれば
あとは、「敵」になり得るのは「自分」だけなのだから
その自分さえ、自分を責めなければ
誰も責める人なんて居なくなる。
それから、ほんとに一進一退を繰り返しつつ
気付けば2年以上たっていて
とりあえず2年前と違って、私は外に出られる。
以前なら、今の体型でも納得はいかなかっただろうけど
今はなんとか、外に出て
自分の体型のせいで凹むなんてことはかなり減った。
1番大事だったのは、あの「自分を責めなかった期間」だと
今も思ってる。もうだいぶ昔のことだけど。
あれからもいろんな時期を経たけど。
食べりゃいいってわけじゃない。
どんなに限界まで食べたって、自分で自分を苦しめていては
意味が無いと思う。
それどころか、状況は悪化する一方。
しかしその時期だって、もしかしたら
必要な期間なのかもしれない。
私だって、そんな時期が3年近くあったから。
まぁ私の場合の話だし、私とは全く違う方法で
この病気を克服した知り合いもいる。
患者の数だけ回復の方法がある、というのはよく言われていることだ。
私は吐かない過食だったけど
嘔吐する人となれば、もう「違う病気」と言っても過言でないくらい
大きな違いがあると思うし。
もう6年目だ。
長いのか、短いのか。
何十年もこの病気に悩まされている人の話だって聞く。
時間の問題じゃないのは間違いないんだろうけど
「病気との向き合い方」をどのように考えながら過ごすかによって
回復の時期も変わるとは思う。
じゃあどう考えればいいのかって、それが分からないんだから
どうしろって話だけど。
とにかく私の場合は、「自分を責めない」ということが
私なりの今の「答え」の第一歩だった。
ま、ゆってもまだ治ってないわけですが。
久々の自己満足な語りでした( ・∀∀・)
←もっとこう
渋い感じの鍋の写真が
よかったんだが。
まだバイト入った日数は、たった4日。
分からない仕事も山ほどある。
・・・っていうのに、人の欲望は果てしないな、と(?
かつてのスーパーレジ打ち経験が、かなり役立っているようで
とにかく最も基本の仕事であるレジが
初日から問題なくできて。
おかげでレジだけは、しっかり任されてる。
失敗しても、内心はかなり「ガ━━Σ(゜Д゜;)━━ン!!!」なのに
表面上はオロオロしてる様子をまるで見せず
「申し訳ない」
「反省してる」
「2度と失敗はしない」
という真剣な表情+毅然とした態度をとることが
上司の目にはイイ感じに映るってことも
かつての様々なバイトで学んで実践してるので
まぁ・・・そんなこんなで
バイト4日目にしては、「しっかりした新人」
みたいなポジションになってる。
他の新人の態度が悪いのも、私のポイントを(ry
メタメタに怒られるようなこともないし
そんな風に怒る人もいないし
何故か最近楽観的で失敗してもあまり自己嫌悪しないので
何度も言うように「今のところ」だけど
このバイトは問題ない。
多分、いける。
という自信を持ち始めました。
すると、新たな野望が生まれるのでした。
こんなバイト、誰でもできる。
私は、私にしかできない仕事がしたい、と。
はえーーーよ!!!!!!!
私にしかできない、私だから任される仕事をするチャンスは
今まで2度あった。
ヤマハでバイトしていたとき、続ければ
「社員」の椅子は確実と言われてた。
しかし、そのときの私に「週6出勤」というのは
あまりに過酷で、3日という短期間で挫折した。
そして、母校とも呼べる「塾」での塾講師の仕事。
あれこそ、ほんと
いろいろあった私だからこそ任された仕事だった。
もちろん「講師」は誰にでもできる仕事ではあるけど
あの場所であれだけの期待を背負い、将来を約束されて・・・
しかし、そこでも私は挫折した。
1日24時間労働くらいの勢いだった。
頑張れるだけ頑張ればいい、無理は強いられていなかったのに
私はその加減ができなかった。
1ヶ月間突っ走るだけ突っ走って、こけて結局、立ち上がれず。
ヤマハも塾も、もったいなかった。ほんと、もったいない。
でも、辞めたことに後悔は、全くない。
ただそれでも、野心は常に自分の中に眠ってる。
調子を崩すと見えなくなってしまうけど
今のこの状態になってみて、改めてそれを確認する。
もっと、もっと、求められたい。
認められたい。そして、求められたい。
必要とされたい。
久々に会った後輩に言われた
何よりも嬉しい言葉。
「しんどいときに会いたくなるのは、夜さんなんです。」
「地元の親友に話すか、夜さんに話すか、って感じなんです。」
私が何よりも元気になる言葉。
私と話すと元気になる
私と話すのが楽しい
結局いつも、このへんが原点になる。
最近知ったけど
私って恐ろしく単純みたいだから、これらを言われると
一瞬で気力回復する。
何より、私こそ、人と話すことが大好きだから。
元気をもらってるのは、むしろ私の方。
その上そんなことまで言われてしまったら
私はうかれっぱなしだ。
言葉はいらないこともある。
ただ一緒にいるだけでもいい。
私に気を使うことなく、私に対して心を許してもらえたら
私はそれが何より嬉しい。
いつか、自分の、そういう場所を持ちたい。
だから精神対話士になりたいし
かなりズレるけど、今のバイトも楽しい。
「ありがとうございます。またお越しくださいませ。」
そう言ってお釣りを渡しながら、私は笑顔でお客の顔を見る。
するとお客は微笑んで「ありがとう」と言ってくれる。
私はますます嬉しくなって、ますます笑顔になる。
そんな些細なやりとりがたまらなく嬉しい。
仕事をテキパキこなせる力の方がきっと大事なんだろうけど
とにかく相手に気持ちよく、心地よくなってほしい。
相手が微笑むと、私はめちゃくちゃ元気になる。
疲れが吹っ飛ぶ。
私が今のバイトを楽しいと思う1番の理由は
そこなんだろう。
ただ、もっともっともっと
求められたい。
「私じゃなくちゃだめ」ってくらい。
何だかひどく子供っぽい野心だけど
こんなこと書いてて、もちろん恥ずかしいのだけれど
そんなことを、よく思う。
渋い感じの鍋の写真が
よかったんだが。
まだバイト入った日数は、たった4日。
分からない仕事も山ほどある。
・・・っていうのに、人の欲望は果てしないな、と(?
かつてのスーパーレジ打ち経験が、かなり役立っているようで
とにかく最も基本の仕事であるレジが
初日から問題なくできて。
おかげでレジだけは、しっかり任されてる。
失敗しても、内心はかなり「ガ━━Σ(゜Д゜;)━━ン!!!」なのに
表面上はオロオロしてる様子をまるで見せず
「申し訳ない」
「反省してる」
「2度と失敗はしない」
という真剣な表情+毅然とした態度をとることが
上司の目にはイイ感じに映るってことも
かつての様々なバイトで学んで実践してるので
まぁ・・・そんなこんなで
バイト4日目にしては、「しっかりした新人」
みたいなポジションになってる。
他の新人の態度が悪いのも、私のポイントを(ry
メタメタに怒られるようなこともないし
そんな風に怒る人もいないし
何故か最近楽観的で失敗してもあまり自己嫌悪しないので
何度も言うように「今のところ」だけど
このバイトは問題ない。
多分、いける。
という自信を持ち始めました。
すると、新たな野望が生まれるのでした。
こんなバイト、誰でもできる。
私は、私にしかできない仕事がしたい、と。
はえーーーよ!!!!!!!
私にしかできない、私だから任される仕事をするチャンスは
今まで2度あった。
ヤマハでバイトしていたとき、続ければ
「社員」の椅子は確実と言われてた。
しかし、そのときの私に「週6出勤」というのは
あまりに過酷で、3日という短期間で挫折した。
そして、母校とも呼べる「塾」での塾講師の仕事。
あれこそ、ほんと
いろいろあった私だからこそ任された仕事だった。
もちろん「講師」は誰にでもできる仕事ではあるけど
あの場所であれだけの期待を背負い、将来を約束されて・・・
しかし、そこでも私は挫折した。
1日24時間労働くらいの勢いだった。
頑張れるだけ頑張ればいい、無理は強いられていなかったのに
私はその加減ができなかった。
1ヶ月間突っ走るだけ突っ走って、こけて結局、立ち上がれず。
ヤマハも塾も、もったいなかった。ほんと、もったいない。
でも、辞めたことに後悔は、全くない。
ただそれでも、野心は常に自分の中に眠ってる。
調子を崩すと見えなくなってしまうけど
今のこの状態になってみて、改めてそれを確認する。
もっと、もっと、求められたい。
認められたい。そして、求められたい。
必要とされたい。
久々に会った後輩に言われた
何よりも嬉しい言葉。
「しんどいときに会いたくなるのは、夜さんなんです。」
「地元の親友に話すか、夜さんに話すか、って感じなんです。」
私が何よりも元気になる言葉。
私と話すと元気になる
私と話すのが楽しい
結局いつも、このへんが原点になる。
最近知ったけど
私って恐ろしく単純みたいだから、これらを言われると
一瞬で気力回復する。
何より、私こそ、人と話すことが大好きだから。
元気をもらってるのは、むしろ私の方。
その上そんなことまで言われてしまったら
私はうかれっぱなしだ。
言葉はいらないこともある。
ただ一緒にいるだけでもいい。
私に気を使うことなく、私に対して心を許してもらえたら
私はそれが何より嬉しい。
いつか、自分の、そういう場所を持ちたい。
だから精神対話士になりたいし
かなりズレるけど、今のバイトも楽しい。
「ありがとうございます。またお越しくださいませ。」
そう言ってお釣りを渡しながら、私は笑顔でお客の顔を見る。
するとお客は微笑んで「ありがとう」と言ってくれる。
私はますます嬉しくなって、ますます笑顔になる。
そんな些細なやりとりがたまらなく嬉しい。
仕事をテキパキこなせる力の方がきっと大事なんだろうけど
とにかく相手に気持ちよく、心地よくなってほしい。
相手が微笑むと、私はめちゃくちゃ元気になる。
疲れが吹っ飛ぶ。
私が今のバイトを楽しいと思う1番の理由は
そこなんだろう。
ただ、もっともっともっと
求められたい。
「私じゃなくちゃだめ」ってくらい。
何だかひどく子供っぽい野心だけど
こんなこと書いてて、もちろん恥ずかしいのだけれど
そんなことを、よく思う。
しらこいお世辞〜回想〜
2005年8月16日 エッセイ前の日記を書いてから、さらに思い出したこと。
大学入学したての頃。18歳。5年ちょい前か。
私はほんと「しらこいお世辞」を言うコだったと思う。
片田舎から1人、都会に出てきて、もちろん知り合いもなく
そして新しい「大学」という環境に踏み入った。
別に「友達ができなかったらどうしよう」とか
そんな不安は無かった。
知らない同世代も初対面の年上も、怖いことなんて
何もないって思ってた。
目上の人には、とかく低姿勢をモットーに
でもあまりビビリ過ぎてもよくないから、そこはうまく加減して
同世代相手なら、引っ込み思案ぽいコにはやや積極的に
積極的なコにはノリをよくして
とにかく相手の出方を見て、うまいこと合わせていれば
人づきあいなんて大抵うまくいくだろう・・・といった感じで。
文字にするといやらしーな。
で、気に入られたいがために
ほんと、思ってもないことで相手を誉めたり
やたら「感動しました」を連呼したり。
それでみんなから気に入られたかっていうと・・・
気付けば、
自分には取り柄がなくて、誰からも特に関心を持たれることもなく
なんてつまらない人間なんだと思うようになってた。
周りの人間がどんどん怖くなっていった。
他のおない年の子は、先輩に対して
堂々と振舞っていたり
全然気を使う様子が見えなかったり
敬語すらうまく使えてなかったり
とにかく我が侭だったり
そんな人が多いように感じて、しかも
自分より彼らの方が
先輩達から好感を得ているように感じた。
納得いかなかった。
私は、こんなに! こんっなに!! 気を使ってるっていうのに。
これけっこう大変なのに。
なんでそんな私より、好き放題やってる子の方に
先輩達が集まっていくのか。
ある時、「感動しました」を連呼していた私に
同回の男の子が酔っ払っいながら、からんできたことがあった。
「お前『感動感動』って、本当に感動してたのか?」
その子は本当に感動したらしいけど、私が「上辺」だけで
「感動」って言葉を使ってるんじゃないかって疑ってて
どうもそれが、彼には気にくわなかったらしくて。
私は私で、その人にそんなことを言われる筋合いも無いし
私が「上辺だけで言った」だなんて、他の先輩が聞いたら
私の印象が下がるだろうし
何より、私が何も分かってないアホ扱いされた気がして
とにかく悔しくて、
でも実際「私は本当に感動したんだろうか・・・」と
よくよく考えてみると
何にそんなに感動したのか分からなくて
感動なんてしてないかもしれない自分に気付かされて
彼の言うことが何もかも図星な気がして
「悔しい」と感じていること自体が、何よりの証拠で
それがますます悔しくて、とても恥ずかしくて。
19歳になったばかりの夏のことだった。
(今考えると、まぁアレなんだけど)
そんな中、自分と似たタイプの人を見ると
変な「同族嫌悪」みたいなモノが生まれるようになった。
すごく気を使う人だなぁ、えらいねぇとも思うけど
その苦労が報われてないというか、逆に痛々しい。
人は、気を使われると嬉しいもんだと思ってたけど
その恩着せがましい雰囲気や
言動の裏に意図がある、その腹黒さ
そういうものがあると、何故か、相手に伝わってしまう。
伝わっていなくても、やはり好感は持たれない。
フと、自分がかっこ悪い・・・というか
気持ち悪い、と感じるようになっていった。
「しらこいお世辞」を言う自分、なんて気持ち悪い!!
しらこいしらこい、って思ってたら
顔に「嘘ですよ」って書いてある気がして
ますます言い難くなって
「ああ、ほんとに思ってることを言う方がいいな」って
今考えると、とことん当たり前のことだけど
私はそのとき、初めてそう思ったのだ。
「善」と「偽善」だとか、そんなようなことについて
やたら悩んでいたのも、その頃だったなーーっと。
「嗚呼、自分はなんて腹黒い偽善者なんだろう」
とか、本気の本気で考えては苦しんでた。
かわいーなォィ。
5年たった今、いろいろと勘違いに気付かされて。
まず元先輩だった今の彼氏には、私も後輩の1人として
他の後輩同様ちゃんとみんなから可愛がられていたということを
教えてもらった。ひどく被害妄想だったらしい。
でも、コンプレックスや自意識過剰な部分があったからこそ
当時の私はそんな風に感じていたんだと思う。
あと、別に私は腹黒くはなかった、ということも。
何より、巧妙に誰かを騙して得した!って経験がないしw
「八方美人」という言葉、これにはもう
ほんとごく最近まで悩まされていた。
でも今は間違いなく「八方」まで神経が回らないし。
まぁとにかくそんなこんなで
私は「しらこいお世辞」というのが大嫌いで
自分が使わないのはもちろんのこと
相手が「社交辞令」を超えた「しらこいヤツ」を言ってくると
うわーって思う。
お世辞だと気付いて無い場合は(ry
大学入学したての頃。18歳。5年ちょい前か。
私はほんと「しらこいお世辞」を言うコだったと思う。
片田舎から1人、都会に出てきて、もちろん知り合いもなく
そして新しい「大学」という環境に踏み入った。
別に「友達ができなかったらどうしよう」とか
そんな不安は無かった。
知らない同世代も初対面の年上も、怖いことなんて
何もないって思ってた。
目上の人には、とかく低姿勢をモットーに
でもあまりビビリ過ぎてもよくないから、そこはうまく加減して
同世代相手なら、引っ込み思案ぽいコにはやや積極的に
積極的なコにはノリをよくして
とにかく相手の出方を見て、うまいこと合わせていれば
人づきあいなんて大抵うまくいくだろう・・・といった感じで。
文字にするといやらしーな。
で、気に入られたいがために
ほんと、思ってもないことで相手を誉めたり
やたら「感動しました」を連呼したり。
それでみんなから気に入られたかっていうと・・・
気付けば、
自分には取り柄がなくて、誰からも特に関心を持たれることもなく
なんてつまらない人間なんだと思うようになってた。
周りの人間がどんどん怖くなっていった。
他のおない年の子は、先輩に対して
堂々と振舞っていたり
全然気を使う様子が見えなかったり
敬語すらうまく使えてなかったり
とにかく我が侭だったり
そんな人が多いように感じて、しかも
自分より彼らの方が
先輩達から好感を得ているように感じた。
納得いかなかった。
私は、こんなに! こんっなに!! 気を使ってるっていうのに。
これけっこう大変なのに。
なんでそんな私より、好き放題やってる子の方に
先輩達が集まっていくのか。
ある時、「感動しました」を連呼していた私に
同回の男の子が酔っ払っいながら、からんできたことがあった。
「お前『感動感動』って、本当に感動してたのか?」
その子は本当に感動したらしいけど、私が「上辺」だけで
「感動」って言葉を使ってるんじゃないかって疑ってて
どうもそれが、彼には気にくわなかったらしくて。
私は私で、その人にそんなことを言われる筋合いも無いし
私が「上辺だけで言った」だなんて、他の先輩が聞いたら
私の印象が下がるだろうし
何より、私が何も分かってないアホ扱いされた気がして
とにかく悔しくて、
でも実際「私は本当に感動したんだろうか・・・」と
よくよく考えてみると
何にそんなに感動したのか分からなくて
感動なんてしてないかもしれない自分に気付かされて
彼の言うことが何もかも図星な気がして
「悔しい」と感じていること自体が、何よりの証拠で
それがますます悔しくて、とても恥ずかしくて。
19歳になったばかりの夏のことだった。
(今考えると、まぁアレなんだけど)
そんな中、自分と似たタイプの人を見ると
変な「同族嫌悪」みたいなモノが生まれるようになった。
すごく気を使う人だなぁ、えらいねぇとも思うけど
その苦労が報われてないというか、逆に痛々しい。
人は、気を使われると嬉しいもんだと思ってたけど
その恩着せがましい雰囲気や
言動の裏に意図がある、その腹黒さ
そういうものがあると、何故か、相手に伝わってしまう。
伝わっていなくても、やはり好感は持たれない。
フと、自分がかっこ悪い・・・というか
気持ち悪い、と感じるようになっていった。
「しらこいお世辞」を言う自分、なんて気持ち悪い!!
しらこいしらこい、って思ってたら
顔に「嘘ですよ」って書いてある気がして
ますます言い難くなって
「ああ、ほんとに思ってることを言う方がいいな」って
今考えると、とことん当たり前のことだけど
私はそのとき、初めてそう思ったのだ。
「善」と「偽善」だとか、そんなようなことについて
やたら悩んでいたのも、その頃だったなーーっと。
「嗚呼、自分はなんて腹黒い偽善者なんだろう」
とか、本気の本気で考えては苦しんでた。
かわいーなォィ。
5年たった今、いろいろと勘違いに気付かされて。
まず元先輩だった今の彼氏には、私も後輩の1人として
他の後輩同様ちゃんとみんなから可愛がられていたということを
教えてもらった。ひどく被害妄想だったらしい。
でも、コンプレックスや自意識過剰な部分があったからこそ
当時の私はそんな風に感じていたんだと思う。
あと、別に私は腹黒くはなかった、ということも。
何より、巧妙に誰かを騙して得した!って経験がないしw
「八方美人」という言葉、これにはもう
ほんとごく最近まで悩まされていた。
でも今は間違いなく「八方」まで神経が回らないし。
まぁとにかくそんなこんなで
私は「しらこいお世辞」というのが大嫌いで
自分が使わないのはもちろんのこと
相手が「社交辞令」を超えた「しらこいヤツ」を言ってくると
うわーって思う。
お世辞だと気付いて無い場合は(ry
っていう題名でちょっとお真面目な文章を書こうと思ったが
なにせ、渋滞の高速ドライブがしんどすぎて
頭がうまくアレしてくれないので
要は、誉められたときに、「そんなことないですよ」って
謙遜てゆーか、「そんなお世辞やめてください」みたいに
自分を蔑む(?)ようなことは
極力言わないようにしようと、私は、何年か前に思いましたっ。
「相手の価値観」で自分を評価してくれているわけだから
そこに「自分の価値観」を当てはめて、「そんなことない」
なんて言ってしまうと
結局、相手の価値観を否定することにつながり
例えば逆として(?
こちらが純粋に相手の素晴らしいところを素晴らしいと
相手に伝えたくて伝えてるのに
それを否定されてしまうと、んー
困ります。
ていうか悲しくなる。
もし相手に誉められた部分が
自分にとっては納得のいかないところでも
相手の目にはそう映っている、
その「相手の目」を否定する必要はない、と。
「相手の考え方」をそのまま「相手の考え方」として
自分の中に受け入れればいいわけで
むしろ相手のためを思えば
素直に「ありがとう」と答えるのが1番相手も嬉しいわけで
ってまぁ、相手のためばかりを考えて
言われてしんどいことを受け入れる必要もないわけだが
何のこっちゃ(’A`)
まぁ誉められたら素直に喜べばいいだけの話ですね(?
そんなことをクネクネと考えたこともあったなぁ〜って
思い出しました。
私は、誉められたらとにかく、↑そうするようにしてます。
ちなみに私が、誰かを誉めたときにそれを相手に否定されると
ちょっとムっとします。
私がそう思って言ってんだから、とりあえず
感謝するかどうかはともかく「そうなのか」と思ってほしいけど
まぁそこは無理やり押し付けるのもどうかと(ry
ま、そういうこっちゃ。
どういうこっちゃ。
なにせ、渋滞の高速ドライブがしんどすぎて
頭がうまくアレしてくれないので
要は、誉められたときに、「そんなことないですよ」って
謙遜てゆーか、「そんなお世辞やめてください」みたいに
自分を蔑む(?)ようなことは
極力言わないようにしようと、私は、何年か前に思いましたっ。
「相手の価値観」で自分を評価してくれているわけだから
そこに「自分の価値観」を当てはめて、「そんなことない」
なんて言ってしまうと
結局、相手の価値観を否定することにつながり
例えば逆として(?
こちらが純粋に相手の素晴らしいところを素晴らしいと
相手に伝えたくて伝えてるのに
それを否定されてしまうと、んー
困ります。
ていうか悲しくなる。
もし相手に誉められた部分が
自分にとっては納得のいかないところでも
相手の目にはそう映っている、
その「相手の目」を否定する必要はない、と。
「相手の考え方」をそのまま「相手の考え方」として
自分の中に受け入れればいいわけで
むしろ相手のためを思えば
素直に「ありがとう」と答えるのが1番相手も嬉しいわけで
ってまぁ、相手のためばかりを考えて
言われてしんどいことを受け入れる必要もないわけだが
何のこっちゃ(’A`)
まぁ誉められたら素直に喜べばいいだけの話ですね(?
そんなことをクネクネと考えたこともあったなぁ〜って
思い出しました。
私は、誉められたらとにかく、↑そうするようにしてます。
ちなみに私が、誰かを誉めたときにそれを相手に否定されると
ちょっとムっとします。
私がそう思って言ってんだから、とりあえず
感謝するかどうかはともかく「そうなのか」と思ってほしいけど
まぁそこは無理やり押し付けるのもどうかと(ry
ま、そういうこっちゃ。
どういうこっちゃ。
ありえない
馬鹿な夢だった。
あー
こういう系の夢が
1番萎える。
高校3年になりたて(てか、初日)のその日。
クラス発表がありまして。
私は「3年6組」になった。「6組」
教室に入ると、たくさん知り合いがいた。
幼稚園から同じSさん。
小学校から同じGくん。
中学で仲良しだったNくん。
・・・はて(?)。このメンバーは、てかこのクラスは・・・
ま、まさか!
トップクラスじゃん!!
そーか、6組と言えば、文系のトップ。
まーじーでー!
この私がトップクラスですか〜
ヒィィィィィィ(’д`)。o(やったーーww
・・・・・
何を血迷ってたのか。
私は理系クラスだった。普通に2組だった。
夢の中で
クラスメイトにY岸(大学の知り合い)がいたよね。
「さすがY岸、頭(・∀・)イイ!!」とかアホだよね。
ちなみに私の地元トトーリ県では
12年ぶりに、私の母校が甲子園に出るらしい。
( ´_ゝ`)フーン
どうせ1回戦で敗(ry
馬鹿な夢だった。
あー
こういう系の夢が
1番萎える。
高校3年になりたて(てか、初日)のその日。
クラス発表がありまして。
私は「3年6組」になった。「6組」
教室に入ると、たくさん知り合いがいた。
幼稚園から同じSさん。
小学校から同じGくん。
中学で仲良しだったNくん。
・・・はて(?)。このメンバーは、てかこのクラスは・・・
ま、まさか!
トップクラスじゃん!!
そーか、6組と言えば、文系のトップ。
まーじーでー!
この私がトップクラスですか〜
ヒィィィィィィ(’д`)。o(やったーーww
・・・・・
何を血迷ってたのか。
私は理系クラスだった。普通に2組だった。
夢の中で
クラスメイトにY岸(大学の知り合い)がいたよね。
「さすがY岸、頭(・∀・)イイ!!」とかアホだよね。
ちなみに私の地元トトーリ県では
12年ぶりに、私の母校が甲子園に出るらしい。
( ´_ゝ`)フーン
どうせ1回戦で敗(ry
去年の7月は死んでた。
ヒキ期間も10ヶ月を過ぎ
過食も、落ち着いたり勃発したりの繰り返し。
そして迎えた恐怖の誕生月。
28日生まれなんて、心から最悪だと思った。
誕生月(7月)を迎えてから、実際の誕生日がくるまで
28日間もあるのだ。
28日間の地獄。
7月ヒトケタ生まれだったら、まだ幾分マシだったろうに。
(や、あんま関係ないかも)
一昨年までは、それでもナンダカンダいって
いちおう大学生(主に休学)だったし
とりあえず一緒にワイワイ過ごしてくれる大学の友もいた。
それがいっきに、何の肩書きもないただのヒキ(&デブ)。
他人と会うどころか
買出しのために1歩外に出ることすら、ままならなかったあの頃。
死んだな。
誕生日が何なんだって言う人も多い。
実際、何がどうってこともない。
しかし
正月・GW・夏休み・クリスマス・年越し前
そして誕生日・・・
これらの日々は、「幸せでなければならない」
というプレッシャーに押しつぶされなければならない。
特に、クリスマスと誕生日の「死にっぷり」と言ったら
ほんとありえなかった。
■拒食
■過食嘔吐
■自発的に吐かない過食
■吐きたくても吐けない過食
それぞれに、それぞれにしか分からない苦しみがあるんだろう。
私は主に1番下の「吐けない過食」だったので
他についてはあまりよく分からないんだが。
過食嘔吐からいっきに「吐けない過食」に陥ったときの
あのパニック。
私はたいがい風呂で吐いてた。
吐けなくて、吐けなくて、
よく、風呂場のタイルの上でぶっ倒れて死んでた。
膨れ上がった腹と浮腫みまくった顔。
というかもう、全身が醜く、酷く気持ち悪かった。
泣いて、泣いて、食べて、泣いて・・・
そしてまた大学(部活)へ出向かなければならない。
こんな姿を部員達に晒さなければならない。
「太ったな」「丸いな!」「アンパンマンか(笑)」
「想像妊娠か?(爆笑)」
「無駄な肉が邪魔だろ(トレで走ってるとき)。悔しいか?
悔しいなら運動して遅れを取り戻せ。」
・・・彼らに悪意はなかった。
体型で人の価値を判断する人たちではなかった。それは分かる。
だって、そこだけがあの組織(部活)での『唯一』の長所だったから。
(とずっと信じてたけど、それも今思えば私の思い込みか…)
ほんとに、耐え難かった。
私が過敏すぎる部分もあったんだろう。
そんな冗談が言えるのはむしろ
私が太ったことをそれほど気にしてない証拠でもあったんだろうけど
そして、彼らに対する怒りもほぼ無かったけど
その分、自分が憎くて憎くてたまらなかった。
楽しくて仕方が無い、生きがいだと思っていた部活は
本当は、辛く苦しく
週2回のトレに行くのが嫌で嫌で
でも私の頭の中で、そこは「行かなければならない場所」で
大学へ向かう道の途中でパン屋をハシゴし
胃につめこんで
その直後にみんなで走って、筋トレして
ジャージ+Tシャツ姿で改めて自分の肉を確認するのが苦痛で
走ったらさっきつめこんだ食べ物が胃の中で暴れて
トレが終われば、部員達とのコミニケーションに頭を抱え
食べたくない夕食を、食べなければならなくて
飲みたくないビールを飲んで
話したくない人と無理やり談笑して
帰りは、帰れなくなった部員を自分の家に連れて帰って
彼らが朝、起きて帰ってくれるのを待ち続け
帰った瞬間から過食開始。
そして当然吐けず。寝るのみ。
次の日も過食にあけくれ、その次の日も・・・
そしてまたすぐに部活。
何故そんな日々の中、それほどまでに
部活に執着していたのか。
依存、そうきっと依存だった。
苦しいことばかりじゃなかったはず、むしろ
それまでの人生に味わったことのない幸せや感動を
そこでめいっぱい得たはずなのに
今振り返ると、そのほとんどが『嘘』だった。
嘘(つくりもの)の集団。
嘘(つくりもの)の仲間。
私はそんなつくりものに、3(4)年間振り回され続けた。
もちろん自ら。
そら、しんどいわ。
そしてヒキ。
そら、休憩も必要だったろう。
そして、曲がりまくっていた思想の修正期間でもあった。
・・・て、いつの間に部活話に┐(´-`)┌
ヒキ期間も10ヶ月を過ぎ
過食も、落ち着いたり勃発したりの繰り返し。
そして迎えた恐怖の誕生月。
28日生まれなんて、心から最悪だと思った。
誕生月(7月)を迎えてから、実際の誕生日がくるまで
28日間もあるのだ。
28日間の地獄。
7月ヒトケタ生まれだったら、まだ幾分マシだったろうに。
(や、あんま関係ないかも)
一昨年までは、それでもナンダカンダいって
いちおう大学生(主に休学)だったし
とりあえず一緒にワイワイ過ごしてくれる大学の友もいた。
それがいっきに、何の肩書きもないただのヒキ(&デブ)。
他人と会うどころか
買出しのために1歩外に出ることすら、ままならなかったあの頃。
死んだな。
誕生日が何なんだって言う人も多い。
実際、何がどうってこともない。
しかし
正月・GW・夏休み・クリスマス・年越し前
そして誕生日・・・
これらの日々は、「幸せでなければならない」
というプレッシャーに押しつぶされなければならない。
特に、クリスマスと誕生日の「死にっぷり」と言ったら
ほんとありえなかった。
■拒食
■過食嘔吐
■自発的に吐かない過食
■吐きたくても吐けない過食
それぞれに、それぞれにしか分からない苦しみがあるんだろう。
私は主に1番下の「吐けない過食」だったので
他についてはあまりよく分からないんだが。
過食嘔吐からいっきに「吐けない過食」に陥ったときの
あのパニック。
私はたいがい風呂で吐いてた。
吐けなくて、吐けなくて、
よく、風呂場のタイルの上でぶっ倒れて死んでた。
膨れ上がった腹と浮腫みまくった顔。
というかもう、全身が醜く、酷く気持ち悪かった。
泣いて、泣いて、食べて、泣いて・・・
そしてまた大学(部活)へ出向かなければならない。
こんな姿を部員達に晒さなければならない。
「太ったな」「丸いな!」「アンパンマンか(笑)」
「想像妊娠か?(爆笑)」
「無駄な肉が邪魔だろ(トレで走ってるとき)。悔しいか?
悔しいなら運動して遅れを取り戻せ。」
・・・彼らに悪意はなかった。
体型で人の価値を判断する人たちではなかった。それは分かる。
だって、そこだけがあの組織(部活)での『唯一』の長所だったから。
(とずっと信じてたけど、それも今思えば私の思い込みか…)
ほんとに、耐え難かった。
私が過敏すぎる部分もあったんだろう。
そんな冗談が言えるのはむしろ
私が太ったことをそれほど気にしてない証拠でもあったんだろうけど
そして、彼らに対する怒りもほぼ無かったけど
その分、自分が憎くて憎くてたまらなかった。
楽しくて仕方が無い、生きがいだと思っていた部活は
本当は、辛く苦しく
週2回のトレに行くのが嫌で嫌で
でも私の頭の中で、そこは「行かなければならない場所」で
大学へ向かう道の途中でパン屋をハシゴし
胃につめこんで
その直後にみんなで走って、筋トレして
ジャージ+Tシャツ姿で改めて自分の肉を確認するのが苦痛で
走ったらさっきつめこんだ食べ物が胃の中で暴れて
トレが終われば、部員達とのコミニケーションに頭を抱え
食べたくない夕食を、食べなければならなくて
飲みたくないビールを飲んで
話したくない人と無理やり談笑して
帰りは、帰れなくなった部員を自分の家に連れて帰って
彼らが朝、起きて帰ってくれるのを待ち続け
帰った瞬間から過食開始。
そして当然吐けず。寝るのみ。
次の日も過食にあけくれ、その次の日も・・・
そしてまたすぐに部活。
何故そんな日々の中、それほどまでに
部活に執着していたのか。
依存、そうきっと依存だった。
苦しいことばかりじゃなかったはず、むしろ
それまでの人生に味わったことのない幸せや感動を
そこでめいっぱい得たはずなのに
今振り返ると、そのほとんどが『嘘』だった。
嘘(つくりもの)の集団。
嘘(つくりもの)の仲間。
私はそんなつくりものに、3(4)年間振り回され続けた。
もちろん自ら。
そら、しんどいわ。
そしてヒキ。
そら、休憩も必要だったろう。
そして、曲がりまくっていた思想の修正期間でもあった。
・・・て、いつの間に部活話に┐(´-`)┌
アメリカンチェリーの試食販売バイト2日間
無事、終えることができました。
おめでと自分!!
私がお客様に食べてもらっていたのは
「味こだわりチェリー」
とか言う、おそらく味にこだわってるチェリー。
隣には、多分そこまで味にこだわってないのであろう
普通のチェリーも売っていた。
無論。
「味こだわり」の方が、断然高いのだ。
私がオススメすべきのは、値段が高い方のチェリー。
私は最初、そんなこと全然知らされてなかった。
渡されたチェリーをガンガン食べてもらい
お客さんはもちろん、どっちのチェリーを食べてるかなんて知る由もなく
(だって私すら知らなかったんだから)
無論、安い方のチェリーを買っていった。
無論、高い「味こだわり」は売れない。
数時間後。果物売り場のオサーンに言われた。
「ごめんねぇ。こだわりチェリー全然売れないねぇ。」
えっ
じゃーなにかい。
私がお客に配ってたチェリーは
私が売らなきゃいけなかったのは
高い方のチェリー(味こだわりね)だったんかい。
はよ言えやーーー
ぁちゃーと思いつつ。
以降は、試食していただいたお客様には
食べてもらったチェリーがどのチェリーなのかを
入念に説明した。
「今試食していただいたチェリーはこちらの味こだわりチェリーになります。」
ぁーぁ。
おいしいチェリーを食べてもらって、みなさんには
違うチェリーを売ってたのか。
詐欺じゃん。
ていうか、私けっこうがんばってんのに
売らなきゃいけないチェリーとは別の商品を売ることの
手助けばっかしてたのか。
チクショ。
そして気づいた。お客様心理?
私「今試食していただいたのは、こちらのチェリーなんですよ。」
お客「あら、違うの?」
私「はい。」
アピール?「あちらのチェリーより値段が張る分、こちらのチェリーは名前の通り、味にこだわっていておいしいんです。上質なんです。」
アピール?「こちらのチェリーは味にこだわってるんですけどその分、値段が張るんですよ。あちらのチェリーは安くて量も多いですし、お買い得なんですよね^^;」
?と?の違い。
言ってる内容は同じなんだが、順序が違う。
?はまさに、アピール!!って感じなんだが。
?は、むしろ安い方のアピールをしてるかのようだ。
どっちのアピールが、よりお客様の心をひきつけるかというと・・・
?なのだ。
自分が売りたい方をおとしめる(?)ような言い方。
ライバル商品をたてるような言い方。
こちらの方が、好感を持たれやすいからなのか?
とにかくこれは、不思議。
日本人が好む感覚なのか?
自慢<謙遜(?
などと考えた1日目。
2日目に判明したのだが・・・
↓上のおっさんとは別の上司の言葉
「仕入先は一緒やから、どっちが売れても君には問題ないんだけどね。」
な、なにー!
というわけで、私は高い方も安い方も関係なく
元々、両方売らなきゃならんかったらしい。
果物のおっさんがおかしな勘違いしてたせいで
(「売れなくてごめんねぇ」「気の毒にぃ」と散々あやまられた)
いらん葛藤してしまった。
安い方が売れる度に、心を痛めていた私。
おっさんのあほー。
どっちが売れてもよかったんかーい。
その後もいちおう、詐欺行為はしたくなかったので
(あとから「味違うやんけー」と苦情きても困るし)
(そのせいで悪い印象持つ人がいたら嫌だし)
どっちのチェリーを食べてもらってるかだけは
ちゃんと説明した。
そして、説明を続けると
実際、高い方を選ぶ客がけっこー多い。
確かにアメリカンチェリーなんて、なくても人生に支障ないしな。
食べなきゃ生きていけないわけでもなし。
せっかく買うなら、高くてもおいしいチェリーを、と。
よし!私も将来はそういったマダムになろう・・・
と決意したのでした。(つづく?
ていうのとは、何か違うかも。
人は何故、これほどまでに人に残酷になれるんだろう。
過去の出来事、聞かされてなかった真実を今日聞いた。
ひどい話が多いし、今回だけ特別ってわけじゃないんだけど。
とにかく、胸が痛い。ていうか何かとにかく何処か何故か痛い。
人のことを思いやれない人種。
自分はそうではないと、私は確信してる。
病気のせいでどうしても仕方ないことがあったとしても
本質的なところでは、多分。
何も関わる人全員のことを思いやる必要はない。全くそんな必要ない。
大事な人を守るために、誰かを攻撃しなければならない時だってある。
そうじゃなくて、自分を守るためでもなんでもなくて
ただただ、自分の気のすむように、気分をよくするために、
たったそれだけのために
他人を踏みにじる。
家族を踏みにじる。とか、ほんとありえない。
でも実際、そういう人って存在するんだもんな。
嘆いたって仕方ないけど。
自分が被害にあわないように気をつけるしかないけど。
大事な人が傷つくことのないよう注意を煽る、それしかできないけど。
なんだろな。聖人ぶりたいわけでもなく。
やるせない。もうやるせなくて仕方ない。
そんな人を尊敬してたり、信じてたり
そんな以前の自分に対して、やり場のないモヤモヤが。
そうそう
しょうもない人をしょうもない人だと思えなかった
自分のしょうもなさ???
また自分につなげてしまった・・・。
とにかく、疑心暗鬼になるのもどうかと思うけど
簡単に人に心を預けるもんじゃないな。
自分が裏切られるのももちろん怖いけど、それより
大事な人が傷つけられているときに、それに気付けない
そんなことがあれば、何より怖いな。
そっか、だからこそ自分の大事な人のそばにいる人に対して
警戒心を持つわけか。
大事な人を危険から守りたいからこそ。
ああそうか。あああそうか。と、また一人納得。
人は何故、これほどまでに人に残酷になれるんだろう。
過去の出来事、聞かされてなかった真実を今日聞いた。
ひどい話が多いし、今回だけ特別ってわけじゃないんだけど。
とにかく、胸が痛い。ていうか何かとにかく何処か何故か痛い。
人のことを思いやれない人種。
自分はそうではないと、私は確信してる。
病気のせいでどうしても仕方ないことがあったとしても
本質的なところでは、多分。
何も関わる人全員のことを思いやる必要はない。全くそんな必要ない。
大事な人を守るために、誰かを攻撃しなければならない時だってある。
そうじゃなくて、自分を守るためでもなんでもなくて
ただただ、自分の気のすむように、気分をよくするために、
たったそれだけのために
他人を踏みにじる。
家族を踏みにじる。とか、ほんとありえない。
でも実際、そういう人って存在するんだもんな。
嘆いたって仕方ないけど。
自分が被害にあわないように気をつけるしかないけど。
大事な人が傷つくことのないよう注意を煽る、それしかできないけど。
なんだろな。聖人ぶりたいわけでもなく。
やるせない。もうやるせなくて仕方ない。
そんな人を尊敬してたり、信じてたり
そんな以前の自分に対して、やり場のないモヤモヤが。
そうそう
しょうもない人をしょうもない人だと思えなかった
自分のしょうもなさ???
また自分につなげてしまった・・・。
とにかく、疑心暗鬼になるのもどうかと思うけど
簡単に人に心を預けるもんじゃないな。
自分が裏切られるのももちろん怖いけど、それより
大事な人が傷つけられているときに、それに気付けない
そんなことがあれば、何より怖いな。
そっか、だからこそ自分の大事な人のそばにいる人に対して
警戒心を持つわけか。
大事な人を危険から守りたいからこそ。
ああそうか。あああそうか。と、また一人納得。
こんな私に、いったい何ができるだろう。
何かできる、とか思うのがすでにアレだな。
最も身近にいる人にすら
してあげれることがあるのに、できてないってのに。
違う。自分を責めたいのではなく。
世を儚む、とかねぇ私がしたところで何?wって話だし。
アッチの日記に「涙」について語ったけど
今は本当に憤りで泣きそうだ。
(私自身に何かあったわけではなく)
嗚呼嗚呼嗚呼・・・
正義感とかじゃない。そんなんじゃないと思う。
私にできること。
私にしかできないこと。
絶対にあるはずだ。
今、私は少しだけ余裕ができたから。
また堕ちるかもしれないけど、とにかく今この瞬間は。
職業にできなくたっていい。
今飼ってる猫。これは、野良猫の子供(つまり野良
彼ら(野良猫たち)を必死になって救おうとしている
私には全く理解に苦しむ団体(?)がいる。
野良猫を捕まえ、万全な状態で里親になってくれる人に渡す。
全くもって理解不能。何のためにそんなことしてんだか。
でもそのおかげで、私はしぃとめぐりあえた。
しぃだってきっと、うちで飼われてソコソコ幸せだろう。
その団体くらい、私も本腰を入れて
何かをやってみたい。
やりたいことをやりたい。
何も無い私だけども。
いつか、何年かかっても。夢は叶えたい。
何の話だか分からな過ぎるけど。そういうこと。
何かできる、とか思うのがすでにアレだな。
最も身近にいる人にすら
してあげれることがあるのに、できてないってのに。
違う。自分を責めたいのではなく。
世を儚む、とかねぇ私がしたところで何?wって話だし。
アッチの日記に「涙」について語ったけど
今は本当に憤りで泣きそうだ。
(私自身に何かあったわけではなく)
嗚呼嗚呼嗚呼・・・
正義感とかじゃない。そんなんじゃないと思う。
私にできること。
私にしかできないこと。
絶対にあるはずだ。
今、私は少しだけ余裕ができたから。
また堕ちるかもしれないけど、とにかく今この瞬間は。
職業にできなくたっていい。
今飼ってる猫。これは、野良猫の子供(つまり野良
彼ら(野良猫たち)を必死になって救おうとしている
私には全く理解に苦しむ団体(?)がいる。
野良猫を捕まえ、万全な状態で里親になってくれる人に渡す。
全くもって理解不能。何のためにそんなことしてんだか。
でもそのおかげで、私はしぃとめぐりあえた。
しぃだってきっと、うちで飼われてソコソコ幸せだろう。
その団体くらい、私も本腰を入れて
何かをやってみたい。
やりたいことをやりたい。
何も無い私だけども。
いつか、何年かかっても。夢は叶えたい。
何の話だか分からな過ぎるけど。そういうこと。
落ち着くために
思いっきり
自分を罵倒したいけど
しようか。
やめとくか。
どっちがいいか分からん。
素直な気持ちを持てない、何かで覆わなくてはならない。
でないとつらい。
ってこと自体、つらいな。
確かに自分に怒ったってしょうがないんだけど。
溢れんばかりの感情を
こうして文字に綴って
それで少しだけ感情を開放して。
関係ない話で、紛らせよう。
今日、親戚らしき誰かから電話があった。
父が母に電話を渡した。
母「え、亡くなったの?」
(ええーー誰が?!)
私「ねぇねぇお父さん、誰が?誰の話??」
父、シカト。(シカトというか、猫に夢中)
私「ちょっと!お父さんてば!!!」
父「ん?津山のおじさん。」
(津山のおじさん!!!!!!!!! ・・・・って誰だーー!)
津山付近にいて、「おじさん」と呼ばれる人と言えば
思い当たるのは2人。
母の弟(つまり叔父) or 母の妹の旦那(つまり叔父)
(え・・・し、死んだって。嘘・・・。え、ええー?!)
母の方を見ると、母はすげー普通にしゃべってる。
(さすがに、自分の弟が死んでて、あんな平然とはしないよなぁ)
(確か、妹の旦那さんは入院してたっけ?ああーあのおっさんか)
(・・・って!!! まじかい!)
母「あらほんとぉ。でもちょうどよかったわ。明日岡山行くとこだったし。」
(ちょうどよかったぁ?!いやいや何言ってんだアンタ!)
母「じゃあ、それが理由で岡山行くってことにすればいいのね。」
(待て待てーーーい!言ってること無茶苦茶やん!!!)
(ていうか、誰と話してるの?ま、まさか妹さん?)
(旦那が死んだばっかの妹に、アンタ何言ってんだぁー)
(口調もありえんほど普通だし。イミフイミフイミフイミフ意味不明)
ま、全部勘違いだったんですけどね。そりゃそうね。
ほぼ関係ないおっさん(90以上)が亡くなったらしい。
お父さんも「津山のおじさん」とかワケワカラン説明すんなやー。
・・・いや、それにしても、どうなのその母のテンション。
こないだは「私が内緒で結婚した」とかいうデマを信じた祖母から
電話かかってくるし。
デマを流したのも、どっかの親戚らしいし。
大丈夫か、うちの家族・親戚一同は。
どうぞ、安らかにお眠りください。
思いっきり
自分を罵倒したいけど
しようか。
やめとくか。
どっちがいいか分からん。
素直な気持ちを持てない、何かで覆わなくてはならない。
でないとつらい。
ってこと自体、つらいな。
確かに自分に怒ったってしょうがないんだけど。
溢れんばかりの感情を
こうして文字に綴って
それで少しだけ感情を開放して。
関係ない話で、紛らせよう。
今日、親戚らしき誰かから電話があった。
父が母に電話を渡した。
母「え、亡くなったの?」
(ええーー誰が?!)
私「ねぇねぇお父さん、誰が?誰の話??」
父、シカト。(シカトというか、猫に夢中)
私「ちょっと!お父さんてば!!!」
父「ん?津山のおじさん。」
(津山のおじさん!!!!!!!!! ・・・・って誰だーー!)
津山付近にいて、「おじさん」と呼ばれる人と言えば
思い当たるのは2人。
母の弟(つまり叔父) or 母の妹の旦那(つまり叔父)
(え・・・し、死んだって。嘘・・・。え、ええー?!)
母の方を見ると、母はすげー普通にしゃべってる。
(さすがに、自分の弟が死んでて、あんな平然とはしないよなぁ)
(確か、妹の旦那さんは入院してたっけ?ああーあのおっさんか)
(・・・って!!! まじかい!)
母「あらほんとぉ。でもちょうどよかったわ。明日岡山行くとこだったし。」
(ちょうどよかったぁ?!いやいや何言ってんだアンタ!)
母「じゃあ、それが理由で岡山行くってことにすればいいのね。」
(待て待てーーーい!言ってること無茶苦茶やん!!!)
(ていうか、誰と話してるの?ま、まさか妹さん?)
(旦那が死んだばっかの妹に、アンタ何言ってんだぁー)
(口調もありえんほど普通だし。イミフイミフイミフイミフ意味不明)
ま、全部勘違いだったんですけどね。そりゃそうね。
ほぼ関係ないおっさん(90以上)が亡くなったらしい。
お父さんも「津山のおじさん」とかワケワカラン説明すんなやー。
・・・いや、それにしても、どうなのその母のテンション。
こないだは「私が内緒で結婚した」とかいうデマを信じた祖母から
電話かかってくるし。
デマを流したのも、どっかの親戚らしいし。
大丈夫か、うちの家族・親戚一同は。
どうぞ、安らかにお眠りください。
別サイトで書いた日記。
ちょっと昔の自分が
垣間見えると思ったので
読んでもらいたい人に・・・。
『色』
色っぽい。色目。色めがね。
他に何かあるかな。お腹痛くて思いつかない。
私は「すみれ色なイメージの空気をもつ人」www
(とある方に、私の打つ文字が持つ空気の色を判定していただいた)
そこでふと思い出したのだが、小さい頃
仲良し5人組でゴレンジャイならぬブルメンジャイを結成してた。
体育の授業中限定で、私たち5人は正義の味方だったのだ。
敵はジャージャー。誰もやってくれなかったので、そこは
想像力でカバーした。
ブルメンジャイのテーマソングと、それに合わせたダンスまであった。
9割がた、私が考えた。
誤解を招かないために補足しておくが、何も
好きで作ったわけではなく、体育が創作ダンスだっただけだ!
あれは中3・・・青すぎる春だった。(そこまで小さい頃でもなかった)
言い出しっぺは、イエローの子。
何を思ったか、急に「ブルメンジャイ!」と叫びだした。
(今では、関西1カシコイ国立大学で就職浪人中)
次に仲間入りしたのが隊長レッドの子。
(今では、カウンセラーの卵で臨床心理を学んでいるとか?)
そしてこの私が『ピンク』に決定。
(今では、・・・・まぁこんな感じだ)
さらに「ブルー」が参戦。
(今では、歯医者の卵)
最後に「ブラック」。(行方不明)
まぁ実際、行方不明なのは私の方だって噂も(ry
よく考えたら、私ピンクっておいしいな。
何故か中3まで全くあだ名がなく
どんなに仲のいい子にも「名字+さん」で呼ばれていた。
かわいそうな子だった。
やっとできたあだ名が「桃」だった。
私ってそんなイメージだったのかしら☆
まぁ実際、私が桃のジュース飲みながら、1人でずっと
「桃・・桃・・」
ってつぶやいててキモがられたのが由来なのだが。
(そして、私のあだ名が『タマキ●』になるのは、もう少しのちの話)
彼女達からは今でも『たまき』と呼ばれているなどとは
口が裂けても言えません。
あ、色の話になってない・・・鬱。
中学3年の頃、私はずっとそんな感じでした。
中2までは、また違う私でしたが。
高校でも多分、こんな感じだったのではないかと。
女の子らしいイメージを持たれてないなぁと
ずっと思っていたので
大学で女の子扱いされた時は、正直嬉しかった・・・w
ちょっと昔の自分が
垣間見えると思ったので
読んでもらいたい人に・・・。
『色』
色っぽい。色目。色めがね。
他に何かあるかな。お腹痛くて思いつかない。
私は「すみれ色なイメージの空気をもつ人」www
(とある方に、私の打つ文字が持つ空気の色を判定していただいた)
そこでふと思い出したのだが、小さい頃
仲良し5人組でゴレンジャイならぬブルメンジャイを結成してた。
体育の授業中限定で、私たち5人は正義の味方だったのだ。
敵はジャージャー。誰もやってくれなかったので、そこは
想像力でカバーした。
ブルメンジャイのテーマソングと、それに合わせたダンスまであった。
9割がた、私が考えた。
誤解を招かないために補足しておくが、何も
好きで作ったわけではなく、体育が創作ダンスだっただけだ!
あれは中3・・・青すぎる春だった。(そこまで小さい頃でもなかった)
言い出しっぺは、イエローの子。
何を思ったか、急に「ブルメンジャイ!」と叫びだした。
(今では、関西1カシコイ国立大学で就職浪人中)
次に仲間入りしたのが隊長レッドの子。
(今では、カウンセラーの卵で臨床心理を学んでいるとか?)
そしてこの私が『ピンク』に決定。
(今では、・・・・まぁこんな感じだ)
さらに「ブルー」が参戦。
(今では、歯医者の卵)
最後に「ブラック」。(行方不明)
まぁ実際、行方不明なのは私の方だって噂も(ry
よく考えたら、私ピンクっておいしいな。
何故か中3まで全くあだ名がなく
どんなに仲のいい子にも「名字+さん」で呼ばれていた。
かわいそうな子だった。
やっとできたあだ名が「桃」だった。
私ってそんなイメージだったのかしら☆
まぁ実際、私が桃のジュース飲みながら、1人でずっと
「桃・・桃・・」
ってつぶやいててキモがられたのが由来なのだが。
(そして、私のあだ名が『タマキ●』になるのは、もう少しのちの話)
彼女達からは今でも『たまき』と呼ばれているなどとは
口が裂けても言えません。
あ、色の話になってない・・・鬱。
中学3年の頃、私はずっとそんな感じでした。
中2までは、また違う私でしたが。
高校でも多分、こんな感じだったのではないかと。
女の子らしいイメージを持たれてないなぁと
ずっと思っていたので
大学で女の子扱いされた時は、正直嬉しかった・・・w
世界の路上に落ちていた言葉
2005年5月14日 エッセイ
つまり
よほど
暇というわけだ。
すごくしょうもない日記書きます。
とあるサイトで(や、此処でもか)
ついさっき読んだ日記のテーマがウンコだった。
ウンコって言葉を使うのは気がひけるので
↓以降は「運子」で。
盛り上がるネタとして(私の周辺だけかもしれないが)
挙げられるのが、「チョコ」と「匂い」と「運子」。
この3つの言葉のうち、ダントツで登場回数が多いのが
やはり 「運子」
よく見ると、前回の自分の日記にまで登場してます。
あの、本当にしょうもないことを書きますので。
運子という言葉ですが、ネット上では(もちろん現実でも)
言葉にするのは恥ずかしいし、ちょっと隠したくなりますよね?
「う●こ」。「ぅ○こ」。「ウnコ」。「ウヌコ」。
まぁこんなものでしょうか。
そして今日フと思ったのですが、隠せばいいものでもないな、と。
運子という言葉が既出の場合
「●●●」
と表記すると、実は全部隠しているようで
最もきつい印象をもたらすのではないか・・・と。
そして(まだ続けます)
運子の話から発展すると(逆もあるが)必ず登場するのが
「便秘」「下剤」等。
これがまた、ネタとして大変盛り上がります。
情報交換であったり、過去の印象強い経験であったり。
便秘についてですが。
全国の半分以上の人口が、「(自分)は常に便秘だ」という文章を
口にしたことがあると思います(適当)。
無論、私もその1人で、慢性的便秘です。
そんなことはいいんですが、では
いったいいつから便秘なのでしょうか。
物心ついた時には、便秘だったと思います。
しかし、例えば小学生が「最近便秘気味でさぁ」なんて
そんな会話をしているのでしょうか。
まァ最近の子なら、おかしくないのかな。
とりあえず私の小学校時代は、そんな会話は成立してませんでした。
(や、どうだろ)
便秘を自覚するのっていつなんだろう・・・。
あとは浣腸(ry
とにかく、そんな実感をする機会が無いかもしれませんが
「運子」という言葉は、言葉というか存在というか
生活において、とても大きいのだな、と私は今日感じました。
こんな馬鹿な日記を書くのは、やや調子が戻っている証拠だ。
さすがにあまりにしんどい時に、こんなどうでもいいような日記
書く気力は起こらない。
ただテーマがテーマだからこそ、これほど書けたとも言える。
とりあえず、この日記の構想を考える間
そして作成している間
私は「鬱」ではない、ということだ。
鳥がチュンチュン鳴いてます。
よほど
暇というわけだ。
すごくしょうもない日記書きます。
とあるサイトで(や、此処でもか)
ついさっき読んだ日記のテーマがウンコだった。
ウンコって言葉を使うのは気がひけるので
↓以降は「運子」で。
盛り上がるネタとして(私の周辺だけかもしれないが)
挙げられるのが、「チョコ」と「匂い」と「運子」。
この3つの言葉のうち、ダントツで登場回数が多いのが
やはり 「運子」
よく見ると、前回の自分の日記にまで登場してます。
あの、本当にしょうもないことを書きますので。
運子という言葉ですが、ネット上では(もちろん現実でも)
言葉にするのは恥ずかしいし、ちょっと隠したくなりますよね?
「う●こ」。「ぅ○こ」。「ウnコ」。「ウヌコ」。
まぁこんなものでしょうか。
そして今日フと思ったのですが、隠せばいいものでもないな、と。
運子という言葉が既出の場合
「●●●」
と表記すると、実は全部隠しているようで
最もきつい印象をもたらすのではないか・・・と。
そして(まだ続けます)
運子の話から発展すると(逆もあるが)必ず登場するのが
「便秘」「下剤」等。
これがまた、ネタとして大変盛り上がります。
情報交換であったり、過去の印象強い経験であったり。
便秘についてですが。
全国の半分以上の人口が、「(自分)は常に便秘だ」という文章を
口にしたことがあると思います(適当)。
無論、私もその1人で、慢性的便秘です。
そんなことはいいんですが、では
いったいいつから便秘なのでしょうか。
物心ついた時には、便秘だったと思います。
しかし、例えば小学生が「最近便秘気味でさぁ」なんて
そんな会話をしているのでしょうか。
まァ最近の子なら、おかしくないのかな。
とりあえず私の小学校時代は、そんな会話は成立してませんでした。
(や、どうだろ)
便秘を自覚するのっていつなんだろう・・・。
あとは浣腸(ry
とにかく、そんな実感をする機会が無いかもしれませんが
「運子」という言葉は、言葉というか存在というか
生活において、とても大きいのだな、と私は今日感じました。
こんな馬鹿な日記を書くのは、やや調子が戻っている証拠だ。
さすがにあまりにしんどい時に、こんなどうでもいいような日記
書く気力は起こらない。
ただテーマがテーマだからこそ、これほど書けたとも言える。
とりあえず、この日記の構想を考える間
そして作成している間
私は「鬱」ではない、ということだ。
鳥がチュンチュン鳴いてます。
執筆中(フリーズ対策
2005年4月9日 エッセイ
誰のどのアルバムよりも
やっぱり
THE BACK HORN 【人間プログラム】
が好きだ。
◆◆チョコレートネタ◆◆
◆◆♪ピアノ♪◆◆
やっぱり
THE BACK HORN 【人間プログラム】
が好きだ。
◆◆チョコレートネタ◆◆
もう、ガーナがやばいんだが。やば過ぎて
http://www.lotte.co.jp/products/choco/01.html
こんなん拾ってきてしまうほどだ。
中3からずっとダースミルク一筋だったのに…
誰かさんのせいで…
(-=萌=- ∀ -=萌=-) ガーナ萌え (-=萌=- ∀ -=萌=-)
しかしあまりにもチョコ中毒者たちのチョコ萌え話を読みすぎて
読んでるだけで鼻血が出そうだ。若干気持ち悪い。
普通の生活に戻れば、またチョコを食べるのが怖くなるのかな。
そんな人生、虚しすぎます。耐えられません。
ガーナとスニッカーズのファンクラブ(みたいなもの)に入ってしまった。
ガーナはいいけど、スニッカーズは明らかに余計だ。
◆◆♪ピアノ♪◆◆
最近、何かと「長調」と「短調」について説明する機会が重なった。
分かってもらいたいので、うまいこと説明できる方法を考えたわけだが…
明るい曲=長調の曲 暗い曲=短調の曲
どう考えても、これよりいい説明が思い浮かばない。
ココで「音階」がウンタラと書いても、私が痛い人みたいになるしな。
って、なんで私が痛い人にならなきゃならないんだ〜!! ミ`Д´#彡ゴルァ
さっきお母さんと、そんな話をしてて。
昔ピアノ習ってた頃の思い出話に花が咲いた。
作曲コンクールがあってね。小2〜小5で4回出場した。
♪1年目「題名忘れた」…かわいい曲で、かわいい賞をとった。
♪2年目「ドリアム城伝説」…
王女が、魔王「ドリアム」に連れ去られ、勇気ある若者が
ドリアムを倒し、ドリアム城から王女を救出し、最後結婚。
まぁなんてメルヘン。かわい過ぎるな、小3の私。
この年も、かわいい賞(たいがいもらえる)を受賞した。
ちなみにドリアムの名の由来はドドリア。
♪3年目「ディパーチャーフォーギャラクシー」…銀河への旅立ち。
絵に描いたような名前負け。参加賞。ワンフレーズも思い出せない。
♪4年目「ロココの女王」…マリーアントワネットの生涯をイメージした。
あまりにネタに困ってて、マリーアントワネットの映画を借り
その映画のテーマソングをそのままパクった。
最優秀賞を受賞。ワンランク上のコンクールへの出場権獲得。
ああ、13年間隠し続けてきたことを、やっとカミングアウトできた。
スッキリ〜