ふぅ。
リンクしてる方々の日記、そして
その人がさらにリンクしてる人の日記(全部ではないけど)
毎日必ず目を通してる。
試験が迫っていたり、仕事が大変だったり、
家族関係で悩んでいたり、
目標を達成できなくて苦しんでいたり、
目標を達成しているのに苦しんでいたり、
心中を想像してみると自分まで心が痛くなったり、
感心させられたり、元気をもらえたり、
あまりに自分と似た心境におかしな喜びを感じたり・・・
なんかすごいなぁ(今更ですが
たばこの消費量が半端ない。
ヘビースモーカーではないけど、でも1ヶ月1万弱。
プラス、コンビニに捨てている食費(吐いてはいないが)。
なんだかんだで、1ヶ月の支出が2万ほど。
・・・え?
過食がひどい時期は、毎日2〜3000円消えてたな。
1ヶ月いくら使ってたかなんて
もう考えるのもおぞましい。
実家暮らしなのに、何故食費が必要なのかと。
まぁそれこそ愚問で今更杉ですよと。
支出ばっかでもちろん収入無し。
服なんて買えるわけない。(欲しくもない、着れないんだから)
親から服代なんてもらえるわけない。
それでも携帯代はしっかり払ってもらっていて
自分から誰かに電話なんて、できない。
かかってこないと話せない(最低
(家電はちゃっかり使いまくるがw)
彼氏と無料電話かゲームonly。
これといった悩みの要因もなく。
かといって、何かをしようって気もなく。
そしてこうやって
今まで何度書いてきたか分からんようなタワゴトを
またキーボードで弾く。
みんな私よりずっとつらいのに
みんな私よりずっと自分のことを責めてて。
こんな私に共感されても迷惑な話だよなーとか
また勝手に妄想。
今の私が1番したいこと
そうありたい自分っていうのは
少しでも彼氏の手助けをしたいってことだけ。
「手助け」もなにも、手伝えるようなことなんて
もちろんあるわけないんだけど。
そんな私に対して求めてくれるモノがあるのなら
それに応えたい。
それがもし「安らぎの時間」であるのなら
そんな時間を過ごせるように、それに応えたい。
私が唯一、彼のためにできることなのだから。
心からそう思ってるのに
そんな時間を壊すのも私。
些細な言葉のニュアンスにこだわって
やたら自意識過剰で
私の話じゃなくても自分のことだと勘違いし
頭では分かってても思考は止まらず
重いの空気のできあがり(簡単レシピ)
東ちづる著
「『私』はなぜカウンセリングを受けたのか」
↓以下引用
お互いに結婚するのが自然の流れだと思っていた。自慢の彼だった。
ところが、付き合いはじめて三年半ほどたったある日、私は失恋した。突然の別れだった。原因は、私の強い依存心。ふたりだけのムード先行の口約束だけでは不安な私は、結婚への確固たる約束、すなわち将来への保証がほしかったのだ。それがあらゆる言動に現れた。彼にはプレッシャー以外の何ものでもなかっただろう。
日が経ち冷静さを取り戻すと「あさましい自分」に気がついた。私は愛している男性を失った悲しみより、結婚相手を失ったことに衝撃を受けていたのだ。「もうすぐ上がり」と喜んでいた双六が、また振り出しに戻ったのだ。
最初は彼のことが『好き』という気持ちを大切にしていた。恋だった。そして愛が芽生え、ふたりで育んでいった。それがいつから「私を幸せにしてくれる男性」と「愛される私」になってしまったのだろう。私は彼の人生に属することで安定をはかろうとした。彼にはほんとうに失礼なことをしたと思う。
流れる時間はいろいろなことを気づかせてくれる。依存心が歳を重ねるにつれて高まっていくこと、心から打ち込めるもの夢中になれるものがないこと、そんな自分が見えるようになる。将来への不安要素を減らそう。まずは経済的自立。もし結婚することがあっても自分の財布を持とう。できることなら、やりたい仕事をして自立したい。自分が生かされる仕事がしたい。
概して、摂食障害の人は、「自立できてない」って思っているようで
心は、病気の人よりずっと自立を目指してるんじゃないかって
思うことがよくある。
普通の10代の子たち、問題なく学校に通える人たちって
心に問題を抱えて学校を途中で挫折してしまう人より
将来をもっと軽く考えてるんじゃないだろうか。
もちろん人によるんだろうけど。
学校を途中でやめても、その次につなげるために
新たに道を開こうとするそのエネルギー。
当たり前のように高校に通い、流れで大学受験を目指す子には
そこまでのエネルギーがあるとは思えない。
というのは、かつての自分がそうだからなんだけど。
大学に入るまで、精神的な問題とは無縁だった私。
「そういうもの」と思って、大学を目指し
なんとか入りたい大学に入った。(で、卒業できず)
18やら19の頃の自分と比べると
ここで日記を読ませてもらってる人たちは
本当に「自立」してると思う。
そして24になる私。
ちょっと前までは、東ちづるの言葉をサラサラと読んで
特に何を感じることもなかった。
その通りだと思ったから。
でも今の私は、ただただ彼氏に依存している。
「自立!自立!」って考えていた頃よりずっと
2人の時間が穏やかになった。
私の世界が、彼だけになっている。
そして、なにせ、こんなことを書いていながら
それをそれほど問題だと思ってない。
じゃあいいんじゃないの?って話なのか?
とにかく、他の皆さんの日記を読んでいると
もっと自分のことをしっかりさせなきゃと思わなきゃ
とかいう、かなり遠まわしな言葉が聞こえてくる。
彼が今のままの私をいいと思ってくれるのなら・・・
しかし
彼にはいずれ、彼にとってとても大きな世界が広がる。
そのときに
自立してない私を見て
いったい彼は何を思うんだろう。
東ちづるの言葉をそのまま受け入れるなら
今の私は、彼に失礼なことをしてるんだろうか。
いや、まぁ絶対違うんだけど。
彼に「将来的な安定を求めてない」と言ったら
やはり嘘になるが
それより今は、初めて抱いた「愛」っていう感情を、彼を、
大事にしたい気持ちが何より強い。
でも
やっぱりこのままじゃいけないのか。
一般的には、今の世の風潮として「いけない」が正しい答えなんだけど
大事なのは「一般的な話」じゃなくて
私達自身のやり方だから
こんなとこに書いてないで
本人と話せばいい話で。
とにかく、何かにくじけてしまった人も含めて
ほんと、摂食を抱えながらも戦っている(生きている)人は
すごいと思う。
何度くじけたって、きっとまた頑張れる日がくると思う。
絶対くる。
なんかすごく応援したいし
見習わなきゃとは思うんだけど・・・
リンクしてる方々の日記、そして
その人がさらにリンクしてる人の日記(全部ではないけど)
毎日必ず目を通してる。
試験が迫っていたり、仕事が大変だったり、
家族関係で悩んでいたり、
目標を達成できなくて苦しんでいたり、
目標を達成しているのに苦しんでいたり、
心中を想像してみると自分まで心が痛くなったり、
感心させられたり、元気をもらえたり、
あまりに自分と似た心境におかしな喜びを感じたり・・・
なんかすごいなぁ(今更ですが
たばこの消費量が半端ない。
ヘビースモーカーではないけど、でも1ヶ月1万弱。
プラス、コンビニに捨てている食費(吐いてはいないが)。
なんだかんだで、1ヶ月の支出が2万ほど。
・・・え?
過食がひどい時期は、毎日2〜3000円消えてたな。
1ヶ月いくら使ってたかなんて
もう考えるのもおぞましい。
実家暮らしなのに、何故食費が必要なのかと。
まぁそれこそ愚問で今更杉ですよと。
支出ばっかでもちろん収入無し。
服なんて買えるわけない。(欲しくもない、着れないんだから)
親から服代なんてもらえるわけない。
それでも携帯代はしっかり払ってもらっていて
自分から誰かに電話なんて、できない。
かかってこないと話せない(最低
(家電はちゃっかり使いまくるがw)
彼氏と無料電話かゲームonly。
これといった悩みの要因もなく。
かといって、何かをしようって気もなく。
そしてこうやって
今まで何度書いてきたか分からんようなタワゴトを
またキーボードで弾く。
みんな私よりずっとつらいのに
みんな私よりずっと自分のことを責めてて。
こんな私に共感されても迷惑な話だよなーとか
また勝手に妄想。
今の私が1番したいこと
そうありたい自分っていうのは
少しでも彼氏の手助けをしたいってことだけ。
「手助け」もなにも、手伝えるようなことなんて
もちろんあるわけないんだけど。
そんな私に対して求めてくれるモノがあるのなら
それに応えたい。
それがもし「安らぎの時間」であるのなら
そんな時間を過ごせるように、それに応えたい。
私が唯一、彼のためにできることなのだから。
心からそう思ってるのに
そんな時間を壊すのも私。
些細な言葉のニュアンスにこだわって
やたら自意識過剰で
私の話じゃなくても自分のことだと勘違いし
頭では分かってても思考は止まらず
重いの空気のできあがり(簡単レシピ)
東ちづる著
「『私』はなぜカウンセリングを受けたのか」
↓以下引用
お互いに結婚するのが自然の流れだと思っていた。自慢の彼だった。
ところが、付き合いはじめて三年半ほどたったある日、私は失恋した。突然の別れだった。原因は、私の強い依存心。ふたりだけのムード先行の口約束だけでは不安な私は、結婚への確固たる約束、すなわち将来への保証がほしかったのだ。それがあらゆる言動に現れた。彼にはプレッシャー以外の何ものでもなかっただろう。
日が経ち冷静さを取り戻すと「あさましい自分」に気がついた。私は愛している男性を失った悲しみより、結婚相手を失ったことに衝撃を受けていたのだ。「もうすぐ上がり」と喜んでいた双六が、また振り出しに戻ったのだ。
最初は彼のことが『好き』という気持ちを大切にしていた。恋だった。そして愛が芽生え、ふたりで育んでいった。それがいつから「私を幸せにしてくれる男性」と「愛される私」になってしまったのだろう。私は彼の人生に属することで安定をはかろうとした。彼にはほんとうに失礼なことをしたと思う。
流れる時間はいろいろなことを気づかせてくれる。依存心が歳を重ねるにつれて高まっていくこと、心から打ち込めるもの夢中になれるものがないこと、そんな自分が見えるようになる。将来への不安要素を減らそう。まずは経済的自立。もし結婚することがあっても自分の財布を持とう。できることなら、やりたい仕事をして自立したい。自分が生かされる仕事がしたい。
概して、摂食障害の人は、「自立できてない」って思っているようで
心は、病気の人よりずっと自立を目指してるんじゃないかって
思うことがよくある。
普通の10代の子たち、問題なく学校に通える人たちって
心に問題を抱えて学校を途中で挫折してしまう人より
将来をもっと軽く考えてるんじゃないだろうか。
もちろん人によるんだろうけど。
学校を途中でやめても、その次につなげるために
新たに道を開こうとするそのエネルギー。
当たり前のように高校に通い、流れで大学受験を目指す子には
そこまでのエネルギーがあるとは思えない。
というのは、かつての自分がそうだからなんだけど。
大学に入るまで、精神的な問題とは無縁だった私。
「そういうもの」と思って、大学を目指し
なんとか入りたい大学に入った。(で、卒業できず)
18やら19の頃の自分と比べると
ここで日記を読ませてもらってる人たちは
本当に「自立」してると思う。
そして24になる私。
ちょっと前までは、東ちづるの言葉をサラサラと読んで
特に何を感じることもなかった。
その通りだと思ったから。
でも今の私は、ただただ彼氏に依存している。
「自立!自立!」って考えていた頃よりずっと
2人の時間が穏やかになった。
私の世界が、彼だけになっている。
そして、なにせ、こんなことを書いていながら
それをそれほど問題だと思ってない。
じゃあいいんじゃないの?って話なのか?
とにかく、他の皆さんの日記を読んでいると
もっと自分のことをしっかりさせなきゃと思わなきゃ
とかいう、かなり遠まわしな言葉が聞こえてくる。
彼が今のままの私をいいと思ってくれるのなら・・・
しかし
彼にはいずれ、彼にとってとても大きな世界が広がる。
そのときに
自立してない私を見て
いったい彼は何を思うんだろう。
東ちづるの言葉をそのまま受け入れるなら
今の私は、彼に失礼なことをしてるんだろうか。
いや、まぁ絶対違うんだけど。
彼に「将来的な安定を求めてない」と言ったら
やはり嘘になるが
それより今は、初めて抱いた「愛」っていう感情を、彼を、
大事にしたい気持ちが何より強い。
でも
やっぱりこのままじゃいけないのか。
一般的には、今の世の風潮として「いけない」が正しい答えなんだけど
大事なのは「一般的な話」じゃなくて
私達自身のやり方だから
こんなとこに書いてないで
本人と話せばいい話で。
とにかく、何かにくじけてしまった人も含めて
ほんと、摂食を抱えながらも戦っている(生きている)人は
すごいと思う。
何度くじけたって、きっとまた頑張れる日がくると思う。
絶対くる。
なんかすごく応援したいし
見習わなきゃとは思うんだけど・・・
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