天神祭り

2005年7月25日 日常
だったっけ(違ってたら恥ズ

今日は確か、そんな名前の祭りがある日。
私には、浴衣を着て花火鑑賞という予定があった。
もちろん最初から、無謀な予定だとは分かってた。

代わりと言っては何だけど
今日はうちで彼とテレビを見ようと思う。
天神祭りの様子を、テレビで。
 
 
えーと、彼は今、私の部屋で爆睡中・・・J( ’ー`)し
ゆっても彼が寝る前は、私が爆睡してた。
自分でもちょっとおもろい。

私の場合・・・

私は、拒食になりたての頃は吐いてた。うまく吐けた。
2ヶ月目あたりから、過食に切り替わった。
と同時にほとんど吐けなくなった。
その後、たまにうまく吐ける時期もあって過食嘔吐のときもあったが
たいがいは「吐けない過食」だった。
だから当然、体重も
増えるときはありえないほど増える。
いっきに10キロなんて軽い。
それも2週間ほどで。
MAXで、拒食時との体重差は30キロ近かった。

拒食気味と過食を繰り返し、体重の増減は激しかった。
そして今年の1月。
私は久々に彼氏ができたのを境に
ほぼ拒食のような生活に陥った。
1番最初の拒食時の体重には及ばなかったが
それでも、増えてた私の体重30キロのうち
27キロを落とすことに成功した。

もちろん
摂食が治っただなんて、まるで思わなかった。
食に振り回されまくってた。
鬱も不眠もひどかった。

1月から3月まで無理した結果
再び、過食に陥った。
彼氏にも「会えない」を連呼し、1ヶ月ほど会わなかった。
体重ははかってないから分からないけど
おそらく15キロほど増えたんだろう。
30キロに比べたらマシだが
それでも
15キロはかなりありえない。

今の体重も知らない。
多分、拒食時より10キロ↑くらい。

10キロ減らしたいのか?
10キロ減れば、満足するのか?
まぁ減れば嬉しいだろう。痩せるにこしたことない。
でも、その数値にこだわる気はなくなった。
もちろん今の体重は不満だらけで、この体重で社会に出るのは
絶対に嫌だが。
もう少し痩せなきゃとは思うが。

そういうところじゃなくなった。
体重じゃなく
もっと大事なモノがあり、そこを満たせない限り
いくら順調に痩せたからって
まったく幸せではないんだろう・・・と
5年以上かけて実感できた。

今少々太ってても、幸せな時間というのはあるものだ。
例えば今。
横では彼が眠っている。
穏やかな時間が流れている。

私が「変わった」と思えたそのきっかけは
ヒキってからいろいろとあった。
特に大きいのが
ネットで知り合った、同じ病を持つ親友Aちゃんとの出会い。
そしてMの日記、本人との交流。
他にも様々な出会いがあった。
そこで得たものは、簡単に言えば「自信」だったのかも。
容姿ではなく、中身の部分で
私は自分で自分を、それまでよりずっと好きになれた。

そして今の彼(爆睡中)。

摂食になってからの恋愛は、どれも悲惨な結末を迎えてた。
相手への気持ちがどうであれ
もれなく摂食の症状は悪化した。
幸せよりも苦しみの方がはるかに大きかった。

でも今回の恋愛は、今までのどの恋愛とも違った。
どこまでも素の自分をさらけ出せる人は、家族を除いて
彼以外にいない。
本当はとことん我侭な自分。
そして彼はそんな私のことを、こんな私のことを
心からめいっぱい誉めてくれた。
何に関しても。私を認めてくれた。
生まれてから23年目にして初めて
異性に「愛されている」という感覚を知った。
そして「愛する」っていう感情が芽生えた。

私が特殊だったのかもしれない。
それまでの恋愛では、私はとことんひねくれてて。
それまでの恋愛のせいでひねくれたのもあるだろうけど。
とにかく、周りの誰もが知っている「愛」というものの存在を
まるで信じられなかった、知らなかった私に
教えてくれたのが今の彼。

摂食の症状としては、それでも
彼と付き合っている間に拒食→過食→今(よく分からん)と
なかなか落ち着いてくれない。
でも確実に、前進してる。
それまでは他人には絶対に会えるはずがないと
決め付けていた体型のまま
彼にだけは会うことができ
ちょっとずつ、外にも出られるようになった。

決してきれいには比例してくれないが
「何か」で満たされると、食で満たそうという気持ち(過食衝動)も
やはり落ち着く傾向にある。
私には、その「何か」が
「彼からの愛情」であり「彼への愛情」だったのだと思う。

話を戻すが、ネットで出会ったAちゃんやM。
そしてもう連絡をとってはいない様々な知り合い。
彼らによって気づかせてもらった、自分を好きだと思える気持ち。

摂食になる原因が人によって様々なら
治る要因も様々なんだろう。
私はまだ回復の途中段階ではあるけど
なんとなく、私がヒキってから2年間で得たモノが
分かるような気がする。

得ようと努力して得たのではなく
待っている間に自然と出会えた幸運。
もちろん、何かをつかむための努力は素晴らしいことだが
どうしてももがくばかりで何もできないのなら
「待ってみる」というのも1つの方法だと思う。
「穏やかに、変わるきっかけをくれる何かを待つ」
これが、私の持論。
めんどくさがりであきらめのはやい私だから出てくる、自論。

まだまだ今現時点でダメダメな私だけど
振り返るとこんな感じ。

祭りの話はどこいったんだ。

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